浅草ほおずき市とは?四万六千日の由来をわかりやすく解説【金沢に残る意外なルーツも】

浅草・東京下町
悩む読者
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ほおずき市って、なんで「ほおずき」を売るんだろう?

この疑問に、浅草に何度も通っているリピーターで、3年ほど前にほおずき市にも行った私がお答えします。

先に少しだけ種明かしをすると、ほおずきは江戸時代の「薬・お守り」でした。しかも初代の主役はほおずきではなく、まさかのとうもろこし。さらにその風習は、浅草からは消えたのに、金沢でいまも生きています。

由来も、意外なルーツも、来年行く人向けの実用情報も、この記事に全部まとめました。

ほおずき市の露店 風鈴付きの鉢が並ぶ境内の様子
境内に並ぶほおずき市の露店(写真:Ocdp/Wikimedia CommonsCC BY-SA 3.0

【最初に結論】ほおずき市の由来、押さえるのは3つだけ

最初に結論 ほおずき市の由来3つのポイント

先に結論からお伝えします。忙しい方はここだけ読んでもらえれば大丈夫です。

✅ 浅草ほおずき市の由来・3つのポイント

ひとことで言うと、ほおずき市は「一生分のご利益がもらえる日に、薬とお守りを買って帰る」という江戸の縁日文化の生き残りです。

この3つの中身を、ここから順番に見ていきます。

四万六千日とは?1日で126年分の功徳がもらえる日

四万六千日とは? 1日で126年分の功徳

まずは、名前からして謎めいている「四万六千日(しまんろくせんにち)」の話から。

お寺には「功徳日」という特別な日がある

そもそも縁日とは、仏様や神様と特別なご縁が結ばれるとされる日のこと。この日にお参りすると、普段よりも大きなご利益があると信じられてきました。

その縁日の中でも、浅草寺には「この日のお参りは普段の何日分」と定められた功徳日(くどくにち)という特別な日があります。室町時代の末ごろから始まったとされる仕組みです。

いまでいう、お寺のポイントアップデー

その中でも別格なのが7月10日で、この日のお参りはなんと46,000日分。年数に直すと約126年分です。人の一生をまるごと超えるご利益が、たった1日のお参りでいただける。だから四万六千日は「一生分の功徳日」とも呼ばれてきました。

126年といえば、人生100年時代のいまでも収まりきらない長さ。ずいぶん思い切った設定にしたものです。

しろ
しろ

1日のお参りで126年分。ご利益のスケールが豪快すぎませんか(笑)

なぜ46,000日?有力なのは「一升=一生」説

「それにしても、46,000って半端な数字だな」と思いませんでしたか?

有力とされるのは、米一升の粒の数がおよそ46,000粒であることから、「一升」と「一生」をかけたという説です。一升分の米粒の数だけご利益がある、つまり一生分。江戸の人が好きそうな語呂合わせです。

ただし、これは「諸説あり」の世界。数字の由来は、実ははっきりわかっていません。はっきりしないまま何百年も続いているところも、縁日らしくていいなと私は思っています。

前日から人が押し寄せて「2日間」になった

四万六千日の縁日は、江戸時代に定着しました。

そして人間は、いつの時代もせっかちです。「一番乗りでご利益をいただきたい」という人たちが前日の9日から詰めかけるようになり、いつしか9日・10日の両日が縁日として定着しました。

現代のほおずき市が7月9日・10日の2日間なのは、この名残。フライングした江戸の人たちに合わせて開催日が増えたと考えると、なんだか微笑ましいですよね。

あわせて読みたい浅草の歴史を1400年分まるごと解説

なぜ「ほおずき」を売るようになったのか

なぜ、ほおずき? 元は薬とお守りだった

次はいよいよ、冒頭の疑問「なんでほおずき?」の答えです。

先に始めたのは、浅草ではなく芝の愛宕神社

意外なことに、四万六千日にほおずきを売り始めたのは浅草寺ではありません。芝の愛宕神社(いまの東京都港区)が先です。

「え、別のお寺の縁日なのに?」となりますよね。順番を整理すると、こうなります。

  1. 四万六千日は、もともと浅草寺の縁日。評判になり、ほかの寺社も浅草寺にならって、同じ日に縁日を開くようになった
  2. そのひとつだった愛宕神社の四万六千日で、明和年間(1764〜72年)にほおずきの市が立った
  3. 愛宕のほおずき市が評判を呼び、四万六千日の「大本(おおもと)」である浅草寺にも、ほおずき市が立つようになった(浅草寺公式サイトの説明より)

つまり、縁日そのものは浅草寺が本家。でも、ほおずき売りは愛宕神社が先輩という関係です。支店で生まれたヒット商品が、本店の看板商品になった。そんな流れだと思うとわかりやすいですよね。

ほおずきは「薬」として売られていた

では、愛宕神社ではなぜほおずきだったのか。理由は、当時の民間信仰にあります。浅草寺の公式サイトには、こう記されています。

「ほおずきの実を水で鵜呑みすれば、大人は癪(しゃく)を切り、子供は虫気(むしけ)を去る」

癪はなかなか治らない持病のこと。虫気は、お腹の中に虫がいて起こると考えられていた、子どもの腹痛などのことです。つまり当時のほおずきは、観賞用の植物である前に、大人にも子どもにも効くとされた「薬」だったんです。

こうして、一生分の功徳がいただける特別な日に、薬にもお守りにもなるほおずきを買って帰る、というスタイルが出来上がりました。いまでいう、常備薬とお守りのセット販売です。

ご利益と実用品が同じ境内で手に入る。江戸の縁日は、信仰の場とドラッグストアを兼ねていたわけですね。

実は前身は「とうもろこし」だった

前身はとうもろこし 江戸の雷除けだった

実はこのほおずき、浅草では「初代の主役」ではありません。

江戸の雷除けだった「赤いとうもろこし」

ほおずきより前、浅草寺の四万六千日で売られていたのは赤いとうもろこしでした。

きっかけは、「赤いとうもろこしを吊るしていた家には雷が落ちなかった」という逸話。これが評判となり、文化年間(1804〜18年)ごろから、四万六千日の縁日で雷除けのお守りとして売られるようになりました(浅草寺公式サイトより)。

木造の家がひしめいていた江戸の街にとって、雷は火事に直結する恐怖の対象。雷除けのとうもろこしは、いまでいう避雷針であり、火災保険でした。

考えてみれば、浅草のシンボルである雷門に祀られているのも雷神様。雷とゆかりの深いこの街で雷除けのお守りが売れたというのは、妙に納得がいきます。

想像してみてください。夕立と雷の季節を前に、「今年もとうもろこしをもらいに行くか」と浅草へ向かう江戸の人たちを。ほおずき市の境内に、ほおずきが一本もない時代があったんです。

明治初期の不作で、主役が交代した

転機は明治の初めに訪れます。

ある年、とうもろこしが不作になり、売り物が用意できませんでした。これを機に、雷除けは浅草寺が授与する「雷除札(かみなりよけのふだ)」へと形を変え、境内の市の主役は、愛宕神社から広まっていたほおずきに入れ替わっていきました。

半世紀以上続いた風習の交代劇が、たった一度の不作から。歴史の分かれ目は、案外あっけないものなんですね。

その原型が金沢に生きていた——観音院のとうきび

原型は金沢に現存 観音院のとうきび門守

浅草から消えた雷除けとうもろこし。実はこの風習がいまも現役で続いている場所があります。

石川県の金沢です。

ひがし茶屋街の奥で見た、軒先のとうもろこし

以前、金沢を旅したときの話です。

観光名所のひがし茶屋街を奥のほうへ歩いていくと、民家やお店の玄関先に、とうもろこしがぶら下がっているのを何軒も見かけました。正直、最初は意味がわかりませんでした。

同じような光景を、SNSで見つけました。参考までに貼っておきます。

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お寺で聞いてみると、江戸から伝わった風習とのこと。そのときの私は「へえ、浅草のほうから来たんだ」くらいにしか思っていませんでした。まさか、ほおずき市とつながる話だとは知らずに。

長谷山観音院の「四万六千日」と門守

その風習がいまも続いているのが、卯辰山のふもとにある長谷山観音院(はせざんかんのんいん)です。

観音院では、旧暦の7月9日(いまの暦では毎年8月中旬ごろ)に四万六千日の行事が行われ、祈祷済みのとうもろこし(地元では「とうきび」と呼ばれます)が授与されます。参拝した人はそれを持ち帰って、玄関先に吊るす。「門守(かどもり)」と呼ばれる風習です。

元は浅草と同じ雷除け。いまでは魔除けや子孫繁栄、さらに「とうもろこしは毛が多い=儲(もう)けが多い」の語呂で、商売繁盛のご利益も担っています。

そしてこの風習は、江戸から伝わったと考えられています。『金沢の風習』という本にも記述が残っている、由緒ある行事です。

つまり、整理するとこうなります。

📍 同じ「四万六千日」の、その後の運命
  • 浅草:雷除けとうもろこし → 明治初期にほおずき+雷除札へ交代
  • 金沢:江戸から伝わったとうもろこしの授与が、現在まで続いている

あのとき「へえ」で終わらせていた話が、実はここまでつながっていました。

このつながりに気づいたのは、この記事のために由来を調べていた今回です。数年前に金沢で見たあのとうもろこしは、浅草で明治に消えた「雷除けとうもろこし」の生き残りだった。浅草から途絶えた江戸の縁日の風景が、東京から新幹線で2時間半の金沢の軒先に、当たり前の顔をして残っていたわけです。

調べていて、思わず手が止まりました。

しろ
しろ

旅をしていると、思わぬところで話がつながったりする。これだから、旅はやめられないんですよね。

📍 場所はこちら(Googleマップ)

来年行く人へ:ほおずき市の楽しみ方

ほおずき市の楽しみ方 毎年7月9日・10日開催

由来の話はここまで。ここからは、「来年行ってみたい」という人向けの実用情報です。

開催はいつ?基本情報まとめ

ほおずき市の日程は、毎年7月9日・10日で固定です。曜日に関係なく、この2日間だけ。

項目内容
開催日毎年7月9日・10日(固定)
時間朝8〜9時ごろ〜21時ごろ(ほおずきが売り切れ次第終了)
場所浅草寺境内
規模ほおずきの露店 約100軒
鉢植えの値段価格一律(例年2,500円)

※2026年7月時点の情報です。最新の日程・価格は浅草寺の公式サイトで確認してください。

来年の開催日は、2027年7月9日(金)・10日(土)。10日が土曜日と重なる年なので、例年より人出が増えるかもしれません。

ポイントは、どの露店で買っても鉢植えの値段が同じなこと。値切り交渉に気を取られず、気に入った鉢を選ぶことに集中できます。

ちなみに、鉢植えには例年江戸風鈴が付いてきます。ほおずきと風鈴を一緒に持ち帰る。これだけで夏の準備が整う感じ、いいですよね。

2日間しか手に入らないもの

四万六千日・ほおずき市の間だけ、浅草寺では特別な授与品がいただけます(浅草寺公式サイトより)。

  • 黄札(きふだ):黄色の掛け紙が目印の祈祷札。7月9日・10日の2日間だけ授与される
  • 雷除札(かみなりよけのふだ):竹串に挟んだ三角形のお札。こちらも両日限定

とくに注目してほしいのが雷除札。この記事で紹介した「雷除けとうもろこし」の役割をいまに受け継ぐ、由緒の生き残りです。由来を知ってから見ると、ただのお札には見えなくなりますよ。

※このほかの限定授与品は年によって変わることがあります。最新の内容は浅草寺公式サイトで確認してください。

3年前に行った私のおすすめは「午前中」

私がほおずき市に行ったのは、3年ほど前です。

いまでも覚えているのは、境内のあちこちから重なって聞こえる風鈴の音。露店に並ぶ鉢植えの一つひとつに風鈴が付いているので、風が抜けるたびに、境内のどこかが鳴るんです。

暑いし、人も多いんです。でも、また行きたくなる。あの掛け声と風鈴の音は、「これが江戸から続く縁日か」と実感させてくれる空気でした。

しろ
しろ

風鈴の音がそこらじゅうから聞こえて、暑いのに少しだけ涼しい気がしてくるんです。不思議なもので。

これから行く人へのおすすめは午前中です。正直、夕方以降は仕事帰りの人も加わってかなり混みます。ゆっくり鉢を選びたいなら、朝の涼しいうちが確実です。

もうひとつ。ほおずき市はほおずきが売り切れたら終了します。「夜にふらっと行ったら終わっていた」を避ける意味でも、早めの時間帯が安心ですよ。

回り方は、まず本堂でお参りがおすすめです。この日は一生分の功徳がいただける四万六千日。ほおずき選びに夢中になって、肝心のお参りを忘れたらもったいないですから。お参り、授与品、ほおずき。この順番なら取りこぼしがありません。

📍 場所はこちら(Googleマップ)

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コラム:変わりゆく浅草——伝法院通りの32店舗が2026年7月で見納め

変わりゆく浅草 伝法院通りが見納めに

最後に少しだけ、「いま」の浅草の話をさせてください。

仲見世通りを歩いていて、途中で横に交差する通りに入ったことはありますか? 演芸ホールのある六区方面へ抜ける伝法院通りです。私も六区方面へ抜けるとき、何度も歩いてきた通りです。

在りし日の伝法院通り 赤い看板が並ぶ商店街
在りし日の伝法院通り(2019年撮影。写真:DXR/Wikimedia CommonsCC BY-SA 4.0

この通りの西側に並んでいた「浅草伝法院通り商栄会」の32店舗が、2026年7月末までに姿を消します。

出来事
1977年ごろ当時の区長の主導で、区道の上に商店街が成立
2014年台東区と商店側の立ち退き協議が始まる
2022年区が明け渡しを求めて提訴
2025年12月和解成立(2026年7月末までに建物を取り壊し、土地を明け渡す内容)
2026年5月末営業終了。6月以降、解体が進む

※2026年7月時点の報道等に基づきます。

経緯を見てわかるとおり、これは「どちらかが悪者」という話ではありません。区道——つまり公道の上に店が建つという、成り立ちからして特殊な商店街でした。約50年前に行政の主導で生まれ、半世紀にわたって浅草の顔のひとつになり、最後は裁判所での和解という形で区切りを迎えた。それぞれの立場に、それぞれの50年があります。

あの通りの風景を惜しむ声も、もちろんあると思います。

ただ、正直に書くと、私はこの変化をわりと前向きに見ています。理由は単純で、店舗の裏に隠れていた伝法院の壁が、通りから見えるようになるからです。伝法院は浅草寺の本坊で、普段は中に入れない特別な場所。その壁沿いの風景が半世紀ぶりに通りに戻ってくるのは、ちょっと楽しみじゃないですか。

私は幕末という時代が好きなのですが、惹かれる理由は「体制が変わる瞬間のダイナミズム」です。江戸が東京に変わったときも、きっと誰かがこうやって、入れ替わっていく街並みを眺めていたはず。いま伝法院通りで起きていることも、何十年か後には「2026年、浅草の風景がひとつ入れ替わった」という歴史の1ページになるのだと思います。

しろ
しろ

惜しむ見方も、新しい風景を楽しみにする見方も、どちらもあっていい。私は後者派です。次に浅草へ行ったら、壁の見え方を確かめてきます。

まとめ:由来を知ってから歩く浅草は、もっと面白い

まとめ 由来を知って歩く浅草

最後に、この記事の内容をまとめます。

✅ 浅草ほおずき市・由来のまとめ
  • 四万六千日=7月10日のお参りで46,000日分(約126年分)の功徳がもらえる縁日。前日から人が押し寄せ、7月9日・10日の2日間になった
  • ほおずきは「癪や虫気に効く」とされた薬・お守り。芝・愛宕神社で始まり、本家・浅草寺に波及した
  • 前身は雷除けの赤いとうもろこし。明治初期の不作を機に、ほおずきと雷除札に交代した
  • その原型は、金沢・長谷山観音院の「門守」としていまも現役
  • ほおずき市は毎年7月9日・10日固定。狙い目は午前中

由来をたどって感じたのは、縁日の歴史が「消えたものと、生き残ったものの積み重ね」だということです。とうもろこしは金沢に残り、ほおずきは浅草に残った。そしていまも、伝法院通りのように、浅草は変わり続けています。完成した観光地ではなく、現在進行形の街なんです。

2026年のほおずき市は終わってしまいましたが、来年の7月9日・10日はもう決まっています。私も来年は、あの風鈴の音を聞きに浅草へ行くつもりです。行ったら、この記事に写真と感想を追記しますね。

最後にひとつだけ。

来年の7月9日・10日の予定は、もう決まりましたね。3つの由来を知ったあなたのほおずき市は、今年までとはきっと違って見えます。

同じように浅草が好きな人の、次のおでかけの参考になれば嬉しいです。

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